About Carina

石井ゆかり [Yukari Ishii]

 
こんにちは。「かり~にゃ」の石井ゆかりです。
私たち家族は、長野県は伊那谷、高遠町の里山で暮らしています。
 
 

はじまり

私は、佐賀県の有明海のそばで、3人兄弟の末っ子として生まれ育ちました。
 
広大な佐賀平野の大地と、ムツゴロウの住む海・有明海が庭のような所で育ちました。有明海は干満の差が世界一で、とても面白い海です。
 
幼い頃から農家を営む両親がいる田畑で遊んだり、兄たちと一緒に魚釣りをしたり、めいっぱい遊んで子供時代を過ごしました。ザリガニ釣りが得意だったなぁ〜。
 
そして海をみたり、空を眺めてぼ~っと空想するのが好きな子供でした。
(今でもそうですが・・・)
 
中学~高校時代は、バスケットボールに明け暮れたスポーツ少女でした。
 
片道1時間半をかけて自転車通学をしていた高校時代・・・、よくやっていたな~、根性あったな~と今更ながら思います。
 
 

進路

中学時代の同級生の死をきっかけに看護師を目指し、高校卒業後は千葉県内の看護学校で学び、3年間寮生活を送りました。
 
九州出身は私一人だったこともあり、言葉や文化の違い(国内なのに?笑)に戸惑ったこともありましたが、同じ釜の飯を食べた先輩、後輩、同期との貴重で大切な経験をした時間でした。
 
卒業後は地元へ戻り、大学病院で4年間働きました。
 
患者さんとの関わりは好きでしたが、社会経験が少ない自分の力不足を感じ、疲れてしまいました。(燃え尽き症候群?)
 
 

自分らしさのはじまり 
スナフキンみたいな日々…? 

大学病院での仕事を辞めて、一人旅に出かけました。
 
一人旅は、私のライフワークの一つです。看護学校の卒業旅行で、初めて北海道を一人で旅をしたのが、私の一人旅の原点です。
 
まずは、原点でもある大好きな北海道で約1年、南富良野の山の中で住み込みのアルバイトをして過ごしました。
 
ここでは、宿の手伝い、料理、喫茶店の手伝い、時には人参工場や大工の手伝いなど色々なことを経験させていただき、今まで会ったことのないような個性的な人達と出会いました。
 
その後、カナダを約3カ月かけて、バスや電車を使って旅をしました。
 
その頃は、友人達に「スナフキン」みたいだね~(笑)と言われていました。
 
2年間程の放浪の末、看護学校時代の恩師の誘いがあり、関東へ再び!看護学校で教育のお手伝いをさせてもらいました。
 
これから看護を目指す、純粋な想いを持っている若い子達の姿をみて、一年後再び看護師へ戻ることにしました。
 
病院の中で出会う患者さん達の、これまで生きてきた生き方や経験を含めてその背景を感じたり、知ることでもっと患者さんと人として関わりたくて、訪問看護師として神奈川県内で働きはじめました。
 
そんな中、高校時代から興味を持っていた青年海外協力隊に友人の誘いで一緒に応募し、合格。
 
2年間を南米パラグアイで過ごすことになりました。
 
なんだか、相変わらず「スナフキン」みたいですが・・・(笑)
 
 

ラテンの国で

パラグアイでの約2年間は言葉や文化の違いが大きく、体調をくずしたりストレスで不眠症になったり、健康だけがとりえだと思っていた私にとっては大きな試練が続く日々でした。
 
「ボランティア」の意味をはき違えていたのかもしれません。
 
してあげるという上から目線で関わっていたのかもしれません。
 
そのことに気づいてからは、パラグアイ人の友だちを作るということを目標にして過ごしました。やっとパラグアイの国を理解しようと思い始めました。
 
休みの日に見る彼らと職場で会う彼らは違っていて、とてもあたたかく私を迎えてくれ、本当に助けてもらうことばかりの日々でした。
 
今でも、下宿先のママに年に1,2回は連絡しています。また会いに行きたいなぁ。
 
人生の価値観を変えた2年間でした。濃かったなぁ〜。
 
 

母親になって

帰国後、結婚して私も母になることが出来ました。
 
長女が2才頃アトピーを発症しました。
 
看護師の経験から、本当の原因を知らず薬だけで改善することへの疑問をもっていたので、色々と調べてみて、東京にある自然育児相談所に連れていきました。
 
その時母乳育児でしたが、私の体が冷えていること、娘も冷えていることなどが初めてわかりました。健康だと思っていたので、冷え性だと言われ驚きました。
 
このことをきっかけに、娘とともに私自身が冷えを解消していくこと。そして娘に対しては、成長した時に、女性として元気で生きていける体を作ることを、母としての役割として、できることをやっていこうと決心した時です。
 
食生活を変えていくことや生活のリズムを変えていきました。
 
この頃にマクロビオティックにも出会いましたし、若杉友子ばあちゃんにも出会っていきました。
 
食べ物を変えると人生が変わるという言葉も本当だなぁと感じることが増えてきました。
 
娘のアトピー性皮膚炎は、主に首から体にかけて手や膝の関節が乾燥した時に、かゆみや赤みが強くて大変でした。
 
夜中もかゆみで起き、さすってあげて・・・。それが続くとうまく睡眠がとれず、半分ノイローゼのような感じでイライラ、フラフラしていました。
 
まずは、動物性食品や乳製品、卵をやめて、砂糖をとることもかなり減らしていきました。
 
料理や体に関することを学んだりしながら過ごすうちに、娘の症状も、かなり改善していきました。
 
かゆみがあるのを止めるのをどうすればいいか困っている時に、イトオテルミー温熱療法を教えてもらいました。
 
そしてテルミーを使って、娘のかゆみが随分とれました。
 
幼稚園に入る頃には、ほとんど改善し睡眠もとれるようになりました。
 
産後、疲れやすかった私の体も徐々に回復し、元気になっていきました。
 
夫も娘のためということもあり、大変協力的で支えてくれました。気づいたら、独身時代からあった夫の花粉症がほとんど治っていました(笑)。
 
5年後に次女が生まれましたが、次女はアレルギー的な症状はなく幼少期を過ごしました。
 
 

転機 導かれるままに

横浜の街中での生活、土が少なく必要なものはお金で買うしかないリズムの中で、私自身も都会の生活に疲れました。
 
子供達を少しでも自然の中で生活体験させたくて、長女が8才、次女が3才の時に、伊那市高遠町にあるフリーキッズヴィレッジへ行きました。当初は、母子山村留学で一年間の予定でした。
 
その頃、フリーキッズヴィレッジには、引きこもり、不登校、摂食障害、自閉症的な子供や大人がいて、毎日いろいろなことが起きて、飽きる?ヒマもゆっくり休むヒマもありませんでした。
 
大人数の共同生活は想像以上に大変でした。本当にきつかった〜。
 
しかし、自然豊かな高遠の山の中で、土に触れ、自分達の食べるお米や野菜を作り、自然からいただくことへの感謝する生活は、都会生活では感じにくい大切なことを教えてもらいました。
 
「生きる」ということについて、「生かされている」ということについて考えてみたり、感じてみたりする日々でした。
 
フリーキッズヴィレッジには、結局1年9カ月お世話になりました。
 
高遠のこの地が気に入り、ここで生きていくことを決め、近くにある築130年以上の古民家とご縁があり、家族で移り住むことになりました。
 
夫は仕事の関係で時々通いながら、2年後に家族4人での生活が始まりました。
 
 
 

かり〜にゃのはじまり

高遠へ来て、自分達の生きる場所を決めてから、若杉友子ばあちゃんに教えていただいた「もみつき黒焼き玄米茶」を自分用に作りはじめました。
 
また、まこもの株を沢山いただくことになり、田んぼをお借りして、まこもを育てて、お茶や枕にしていました。
 
はじめは友人・知人だけに、たのまれてお茶などを提供していました。
 
2010年から「かり〜にゃ」という名前で、ココロと身体をあたたかくするをテーマに始めました。
 
「かり〜にゃ」とはスペイン語で「あたためる」という意味です。それも母親が子供を抱いているような感じで、大切に包み込み、心とからだをあたためるというイメージがあります。
 
黒焼き玄米茶は、冷えた身体を芯からあたためて力が湧いてくる感じがします。
 
まこも畑にいるだけで心地よくて、まこもに触れているだけで呼吸が深くなりすっきりする感じがします。
 
食べ物をかえることで、たしかに人生の進む道や出逢う人が変わったと思います。
 
食べ物は大切!だけど、正しさだけを求め、これでなければいけないとか、硬い枠を作り、頑固になり、人との関わりや社会で生きていく中で、ちょっと窮屈になっている自分がいることに気づくようになりました。
 
今は、色々な価値観の中で「ねばならない」ことを少しづつ手放し、心から大切だと感じる事には、丁寧に関わり、与えられている中で、生かされていることに感謝する日々です。
 
機械を使えばあっという間にできるものが流通している世の中ですが、人の手から伝わる温かさを一番に考えて、「かり~にゃ」の商品はひとつひとつに、あえて手間と時間をかけて手作りしています。
 
そして、ご縁のある方々のところに届き、心と体があたたまり、「なんだか元気が出てきたなぁ」とか、1人の元気や明るさが、2人、3人、そして、その家族やその周りの人達があたたかく元気になり、生きる力となるといいなぁと、思っています。
 
そんなお手伝いやきっかけ作りをしていくことを決め、今に至ります。そして、これから先、どんなことがあるのかわかりませんが、楽しみながら進んでいきたいと思います。